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豊臣秀吉コース   戻る
 
太閤銅像写真  浅井氏滅亡後、小谷城へ入った秀吉は、今浜にあらたな城と城下町を建設して移り、『長浜』と地名を改めた。
 城下には小谷を初め、近隣から商人や職人が集められ、幾つかの寺院も移されて町場を形成していった。
 この近世城下町の雛形となった町には、城に対しての縦町優先の街路構成、それに家臣団屋敷と町屋を明確に画するなど、秀吉による新しい試みが随所に見られる。
 又、城下町の町衆に対する施策として、初期の段階から秀吉は年貢米と諸役を免除している。
     
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 【長浜城跡】  平城である長浜城は中世以来主流であった山城と異なり、単なる軍事拠点ではなく、政治的支配を意識した先駆的な城であった。また。当時安土城を中心に坂本城、大溝城など、琵琶湖に面した水域に築城されていたが、長浜城もその1つで信長琵琶湖舟運を意識し、近江支配を構想していた。
 1615年、大阪夏の陣後、廃城となったが、その跡地に1983年歴史博物館が開館した。長浜の歴史と文化に関する資料を展示する等、年間10万人を超える入館者を集めている。
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 【秀吉公ゆかりの石碑・石柱】 長浜市制60周年、長浜城再興20周年(平成15年当時)を記念し、城址と城下町に『129基』の石碑・石柱・モニュメントを建てようという、市民主導の壮大な町づくり運動が進められています。  
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 【大通寺の表参道】 大通時の大広間などは徳川家康によって伏見城から東本願寺に移され、さらにここへ移築されたと言われている。   【妙法寺.羽柴秀勝公の墓】 妙法寺は豊臣秀吉によって小谷城下から移転した日蓮宗の寺院です。天正4年(1576年)秀吉の長男、秀勝が亡くなりこの寺に葬られたと言われている。
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【長浜城の堀跡】 長浜の街なかには今も長浜城の堀が多く残っている。
 六瓢箪めぐり(秀吉公ゆかりの六社寺巡り)
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【長浜八幡宮】豊臣秀吉の厚い保護のもと千年の歴史をもつ長浜の氏神様。毎年4月15日の八幡宮の例祭「曳山まつり」は日本三大山車祭りの一つとして名高く、絢爛豪華な山車とその上で演じられる可憐な子供歌舞伎は見ごたえ十分     【豊国神社】豊臣秀吉を祀る神社。境内右隣には出世稲荷もある。江戸時代は秀吉の名を表に出せず『戎社』として信仰されたため、今でも冬の十日戎で賑わいを見せている           
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【舎那院】814年、空海(弘法大師)の開基と伝えられる。織田信長の兵火で消失したが、長浜の城下町建設の際に豊臣秀吉によって復興された。又、芙蓉の寺としても知られ、7月下旬〜9月には約500株が境内を彩る    【総持寺】国分寺の試寺として行基創建の伝承がある。室町幕府の保護をうけたが、織田信長による兵火で消失。豊臣秀吉の寄進によって再興された。ご本尊は薬師如来像である。ボタン寺としても名高く、4月下旬からは境内一帯に大きな花をつける。  
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【知善院】長浜城下建設時に小谷城下から移された寺で、町の鬼門守護の役割が与えられていた。表門は、長浜城搦め手門の遺構といわれている。大阪城落城の折、持ち出された木造の秀吉像も有名。     【神照寺】895年、開山と伝えられる。元亀・天正の兵火で消失したが、秀吉により復興され、その庇護を受けた。神照寺の寺宝は多い。又、ハギの寺としても知られ、9月には参道を埋め尽くすように、2万本が咲き誇る。
     
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