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歴史を訪ねて  文化をいそしむ   自然を愛でる
中山道コース  戻る
 
柏原宿歴史館  古代、東山道と呼ばれた時代より、この地の中山道沿いには多くの人や物が往来し、その歴史的遺産、文化的遺産が数多く残された。
 江戸時代の中山道宿場町としては、番場「62番」、醒井「61番」、柏原「60番」の三宿が現在の米原市に含まれ、旧街並みや、文化的建造物が必見である。(鳥居本「63番」も現在は彦根市だが、以前は同じ坂田郡であった)
 又、沿道には青岸寺、蓮華寺、徳源院、成菩提院など戦国武将に縁の多い寺院(その他観光スポット参照願います)や、佐和山城、太尾山城、鎌刃城、長比城など、「境目の城」として重要視された城の跡も多い。 
鳥居本宿は中山道69宿のうち63番目の宿場で、本陣1件、脇本陣2件、旅籠35件を数えた。         多賀大社の鳥居がここにあったことからその名がついたと伝えられています。
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【彦根道分岐の道標】右へ彦根道(朝鮮街道)が始まる。そして、佐和山城の大手門までは数百メートルの近さである。中世の中山道(東山道)の位置は少し違っていたかもしれないが、佐和山城は交通の要所を押さえる場所であった。   【合羽屋】雨合羽を商っていた古い看板が軒先につり下がっています。合羽と同じ形をした木製看板には「本家・合羽所」と書かれている。天候の荒れやすい中山道の入口に当たる当地は合羽がよく売れた。 
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    【赤玉神教丸本舗】江戸期から今日に至るまで懐中胃薬「赤玉神教丸」を製造販売している有川家の豪壮な家構えが、いまもそのまま残っている。14代将軍家茂に降稼した和宮明治天皇もこの店舗で小休した。 
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【道標】摺針峠へ向かう旧道に残る道標。    【摺針峠摺針峠には望湖堂という大きな茶店があり、旅人は琵琶湖の絶景と「すりはり餅」を楽しんだ。現在は消失したが、本陣構えの建物で、参勤交代の大名や朝鮮通信使の休憩場として利用された。 
 
 番場宿は中山道62番目の宿場であり、宿の長さは127m。本陣1、脇本陣1、旅籠10あり、
     手前の西番場と先の方の東番場に分かれている。
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【道標】「摺針峠 彦根」「番場 醒ヶ井」を示す道標。後ろに名神高速道路が通っている。    【番場宿】番場宿に入った所にある新しい道標。  
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【蓮華寺】詳細は《文化をいそしむ》:《神社・仏閣・史跡巡り》のコースをご覧願います。    
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 【東番場に建つ中山道の道標】    【汽車・汽船道の碑】ここから西へ 2Km程行くと深坂を通り米原宿にたどり着く。米原方向を指差している碑はめずらしい。 
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【久禮の一里塚】 江戸時代には街道の一里毎に道の両側に盛り土して塚が築かれた。旅人は腰を下ろして、一息した。久禮の一里塚には右側に「とねり木」左側に「榎」が植えられていた。    【番場の忠太郎像】長谷川伸の戯曲『瞼の母』の主人公忠太郎の生まれ故郷とされたことで有名になった。宿場の東の方にある蓮華寺には、忠太郎地蔵まで建てられている。 
     
醒井宿は中山道61番目の宿場で長さは875m。本陣1、脇本陣1、旅籠11を数えた 
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【旧醒井郵便局局舎(国登録)】1915年、米国出身のヴォーリズによって建てられたもので、問屋場とあわせて醒井宿資料館として宿場関係の文書などを展示している。     【松尾寺政所】 近江西国第13番の札所。本尊は雲に乗った飛行観音像(秘仏)で、航空関係者が多く参拝されます。 
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【港跡】荷をこの港から船で天野川を下り琵琶湖経由で京都、大阪へ運んでいた    【了徳寺のお葉付きイチョウ】 葉っぱの上に実をつける、大変珍しいイチョウが了徳寺にあります。全国でも50本ほどしかなく、国の天然記念物に指定されています。 
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【醒井宿問屋場】 問屋とは宿場を通行する大名や役人に人足や馬の提供、荷物の積替えなどの引継ぎ事務を行っていたところです。現在全国的に見ても宿場に問屋の残されているところは、ほとんどなく、大変貴重な建物です。     【ヤマキ醤油さん】明治創業の醤油屋さん。醒井の湧水で仕込んだ醤油と味噌を現在でも造っている。白壁の卯建(うだつ)が美しい。 
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【本陣跡】現在は料亭樋口山となっている。館内には宿泊した大名の名を書いた関札が陳列されている。    【醒井公会堂】和洋のデザインと工法を混在させた、昭和初期の公民館的な建物として貴重なものとされ、平成15年、国の登録文化財となった..   
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【醒井木彫り美術館】 上丹生出身の彫刻家、森大造と今日の上丹生を築き上げた先輩彫刻家達の常設室を備えた他に例を見ない木造美術館です。正面の扉は上丹生の彫刻家20人の刀による浮き彫り天女像を左右2枚の木地にレイアウトしたものです。    【地蔵堂】大干ばつの時、伝教大師が醒井で地蔵菩薩を彫刻して、降雨を祈願したところ、大雨が3日間降り続いたという。御丈270cmの花崗岩による丸彫りの座像。初めは水中に安置されていたので、尻冷やし地蔵と呼ばれていた 
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 【地蔵川】居醒の清水を源流とする湧水の川で醒井の宿場はこの川沿いに発展してきた。居醒の清水については、《自然を愛でる:米原水源の里めぐり》のページを参照願います。   【一里塚】醒井を出てすぐに ある一里塚跡の石碑。
     
 柏原宿は中山道60番目の宿場で長さは1,400mあり、本陣1、脇本陣1、旅籠22を数えた。
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 醒井宿と柏原宿の間にある石碑     柏原宿の入口にある石碑
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 【柏原一里塚跡】 江戸日本橋から数えて115番目にあたり柏原宿内の西見附近くに、街道を挟んで北塚と南塚があった。一里塚の規模は5間(9m)四方に盛土して1本又は複数本の木が植えられた。    【御茶屋御殿跡】江戸初期の頃、将軍が上洛する時の宿泊や休憩のために建てられた御殿の跡です。家康、秀忠、家光の3人で合計14回程利用している。
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 【中山道の街並み】  
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  【高札場跡】秋葉山常夜灯が建てられている。脇を流れる市場川にかかる市場橋は「初恋橋」とも呼ばれ、吉村監督の映画の舞台になったところ    
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     【本陣跡】14代将軍家茂に降稼した和宮宿泊の時、新築されたのだが明治に入って垂井宿の南宮神社に移設された。
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 【柏原宿説明板】隣の家は、映画監督 吉村公三郎が少年期を過ごした実家
   
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 【亀谷左京もぐさ屋】盛時には10軒ほどもあったもぐさ屋のうち、今も残るただ1軒の店で、創業340年を誇る老舗です。現在の建物は1815年のもので、大きな「福助さん」が飾られた店頭のたたずまいは、広重が描いた往時のままです。   【造り酒屋跡】 
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 【照手姫笠地蔵】中世の仏教説話である「小栗半官照手姫」に由来するお地蔵さん。右側の小振りの地蔵さん。    【長比山城】浅井氏が織田信長の近江侵攻に備えて築いた城で中山道の監視を目的につくられた。 
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 【中山道の石碑】長比山城への登山道付近にある新しい石碑。    【松尾芭蕉の句碑】県境を岐阜県側に 一歩入った所にある『正月も美濃と近江や閏月』という松尾芭蕉の句碑(芭蕉がここを通ったかは疑問)
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 【寝物語の里柏原宿の端から東へ1kmほど行くと長久寺集落に入る。ここは幅50cmばかりの細い溝を隔てて、近江と美濃が接するところです。その昔、この溝をはさんで並ぶ二つの旅籠に泊った旅人が壁越しに寝ながら話をした・・・というのがこの名の由来です。又、源義経が東国へ逃れた時、義経を追ってきた静御前と家臣江田源蔵がここで偶然にも出会ったという言い伝えもある。   
 
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